雑記

ようやく、いろんなものを吸収したり発散できるムーヴに入ってきた これはスランプとはちょっと別ですごく調子がいい冬の午後みたいな日に一番なにもできなくなって、こう淋しさや怒りがぐるぐる回ってアクションを起こせた時ですら1リットルのオレンジジュースをがぶがぶ飲むみたいな無意味なことで発散しかできなくて、何が言いたいかというと日常にすらテンパり始めていた。ようやく落ち着いてきた

フィンランドから帰ってきたころからよっしゃやるぞ!という気概のまま全力疾走していたら周りに誰もいなくて、ちぇとふてくされていたらみんなずっと前にいた。そんな最中によんだ三月のライオンと水は海に向かって流れるはとてもよかった、あきらめと怒りの交互のつらなりがあって、今ここまで来た

 

勉強することが増え、ひっきりなしに虚無のネオン街に向かおうとする自己をなんとか押しとどめ見つめなおす。そろそろ他人を通してみる自分ではなく自分自身だけを押し固める時期に来てしまっていて、そんな日が続いていたわけですが、

ループ&ループするように見えてきた日々もたくさんサイダーの泡くらい変化が起きていて、どうかそれらを残しておきたいと思うようになった、だからたくさん書くし撮るし聴くし話す。みんな同じだ、どうか記録しよう、保存しよう、隠して取っておこう そんな道しるべになるようなインターネットとの距離感でありたい、今は

 

この間あるひとが書いていてすごくよかったです「どうか自分に敏感であることを継続してください。どうか自分を確定しないでください」

 

昨日今日と人と一緒に相談して決めたものを一緒に料理するということを初めてした。共同作業、細やかな気の配りあい、ときおり錯綜する目指す味への一本道、時間の共有全てがいとおしかった。バイトも本来はこんな気分であるはずなのだが忙殺されている、寿司屋は大好きだがみんな殺気立っているので滝行をするかのごとき日々がまた始まるだろう、その前にゆるい濃やかな時間で満たされたことは本当に素晴らしいなって....

 

今年最後になるだろう読んだ本、和辻哲郎の自己の肯定と否定と

→自分が人を欲するときには人を制服して自分に隷属せしめる。自分の愛は、常に、自分を完成する要素としての自分に向かう。自分は淋しさや頼りなさを追い払うために友情を求めたりなんぞはしない。友人の群を心持ちの後援として人と争ったりしない。自分はただ独りだ。ただ独りでいいのだ。

 

でもそのうえでオレたちは信じるし、従いもする。一人で、自分だけだと思ったことですら文化を紐解けばすぐに先人たる理解者が表れて、安心したりもする。(後のほうで和辻も特殊の極限は普通と言っていた)ハンナアーレントを通して見たアイヒマンのような息苦しさを最近はいろいろなところで感じるが、そうやって文化のポケットに助けられながらまた生きていければなと思う、そんな2019年だった

 

1日1日を振り返った日々の先に誰か信じる人たちがいるような年に、来年はできますよう今日は神田明神に行きました。クリスマスに蕎麦を食べる人はそんなにいなかったので年越し蕎麦と称して盛大に食べて飲んでスカスカの店内だったので女将さんにまだ飲めるでしょとニコニコされておりゃあ幸せだよ.....