15秒

疎遠になるのがイヤで、恋愛関係でもないのに、あなた/たちと過ごしてあなた/たちとの間で見せていたわたしが無くなってしまうのは自分の一部が無くなるようでまあ勝手な理由なんだけど、でも時間は有限なので抱えていられる人間関係を気づいたら制限していて、昔は心を開くまでに大きな壁を何枚も作ってこちらの覚悟をもってして、と努めていたことがあり、

ただ、社会に出て希薄な人間関係を味わうようになった結果、流れ星みたいな人との関係もそれはそれで面白いと感じるようになった、ただの順応

なんかさーホントみんないろんな人生を歩んでるんだよなって思うし、その一瞬にフッと関われてることがなんか嬉しいというか生きてるなあって思う

滞在する銀河

今年の年末年始キツかった、いやいつも年末年始はキラいで、特にクリスマスからまで30くらいまで クリスマスではしゃいでいたのに2日くらいで年末年始の顔になる変わり身の速さも、年末年始に3人集まれば文殊も呆れる宴会の数々それに付随する痴態、仕事もバイトも街もぜーんぶみーんな年末年始だから一回どうでもいいみたいな空気になるクセに、年が明けたら大体ちょっと厄介なことになってる、バカだよばーか、だったら年末までに巻いて片そうよ、大掃除するんだし

年を跨いだら何かが変わるわけでもないし決めた抱負なんて2週間も経たずに失敗して断念するのが我々の常であるというのに、毎年毎年特定の場所に集い寒空の下叫ぶのは本当に寝れないのでやめて欲しい、あと1月中に行けば初詣と思えばもう少しみんなが幸せになると思う、日付にレア感出すのやめよう

とにかく今年の忘年会は他人の話がわからなかった、今まで他人の話を聞いてどういう反応をすればよいか、どういうことが言いたいか掬い取ったり、対人類とのコミュニケーションとか基本的に全部得意な方だった

他人の名前は覚えられないクセに、エピソードを覚えることは得意で自分の中でエピソードに基づくあだ名を勝手につけてるタイプ、この間は他人が今好きな人の名前を言っていてもよく思い出せず話を聞いて、ああ!笹塚の詐欺師(笹塚住みで顔写真が無く、スパムアカウントのようなトプ画だったから)ね、と返してそれはちょっとオレにも失礼と怒られた

 

なのに全部わからなくなった、この人が失礼と言っていることは事実

極め付けにとある忘年会でMBTIをやったら4年ぶりくらいにIになっていた、そういう年頃なのでしょう。

毎年風邪を一回引くくらいだった体調は、9、10、11とそこそこ重い風邪を引いて(胃腸炎、コロナ、扁桃炎)、坊主の雑巾掛け並みに浸透した毎日の筋トレで得た体の太さが元通りになる度に、思い出や言いたかったあれやこれが遠のき、勉強していたものは汗と共に流れていき、頭は何も考えたくなくなり、血管と胃がギュッと掴まれたように苦しく、涙はこぼれるばかり

でも心が柔らかくなった気がする、毎回新鮮にツラかったので

 

温度と湿度のちょっと低く、平穏だけど言い換えれば何も起こらない暮らしというのにも慣れてきた、この生き方に人類のほぼ全員が苛まれてることはずっと前から知っていたし、毎回新鮮にこの感覚が浮かび上がってくることが面白い

もっと人に会った方がいいと言われていろんな人に会っている気がする、思いがけない縁や繋がりに生かされていると、スケジュール帳を埋めながら思い、全然死にたくはないけどいつ死んでもいいと思っている自分に笑う

ダルメシアン柄のフリースが欲しい、ファー寄の

 

残穢 - ZUTOMAYO

札 - 君島大空

LOVE (XL) - Hedigan's

Die Today - EARTHGANG, Spillage Village

WHAT - 99' Nasty Kids, Coa White, GTC

Holy Toast - BewhY

Posse - YOUNG POSSE

Nobody Knows - KISS OF LIFE

What I Want - fromis_9

Jeogeumtong - E SENS

jonny's sofa - Jclef

End of the journey - LEE JIN AH

I dramt about you last night - Yoon Jiyoung

Fluffy Kitty - Ryu Sujeong

Golden Time!- ahreum

It's on me - L-like, Moon Sujin

Let It Go - Kelele

Je Ne Sais Quoi - NCT 127

love ?  - Keem Hyo-Eun, Don Malik

Pandora - Lym en, SUMIN

7711 - Felix Ames

Rise - Jelani Blackman, Biig Piig

Baby Doll - Tabber

COSIGN - pH-1, oygil

Asphalt - MIRANI, pH-1

I Still Believe in Santa - Devita

Cham na! - UNE, h3hyeon

 

今年好きだったやつ、一曲でも好きなものがあったら教えてね 色んな曲聴いたし4年もかかったけど韓国語の勉強も始められたし借金も無くなったし!私は1人なんです、もう1人で生きていけるし死んでも迷惑が実害としてかからないところまで来たんですと今年の誕生日は思った

5年前が氷塊を一瞬で溶かす熱々の鉄球だとしたら今年は丸まったハリネズミだった。どこでボタンを掛け違えたんだろうときみは言うけれど、ずっと掛け違えてなかったし、きっと最初からこうだったんだよと今なら言える

あまり記憶が定かではないものの、楽しかったという感情がぼんやりお腹からせり上がってきているのを感じながら移動したり、眠りについたりすることが多く、それは好ましいとこの10か月く らい思っていた。

時間が解決するって言葉が羨ましい、元々なんとなく身体が認識していたものを定義し、コントロールすることで生きているという実感を呼び起こすから。突き詰めると曖昧になるところが好き

 

感情の抑えが効かず無駄に一日を過ごしてしまったと悔やんだ時に 、お腹が空いてすごく悔しかった、感情のコントロールもできないし、お腹が空いていくこともコントロールできない、私が私でいるための理性があまりにも弱く、剥がされていき、何のために今を過ごしているのか分からない自分だけが残ることが

 

本能で動くことが怖いわけではない。が本能を見ると腕をやすりのようなものでなぞっているかのようにもう怖いのだ、理性を通して色々な相互理解を通さないと安心できないのかもしれない。 優しさは時に人を深く傷つけるというのに

私が理性にすがっているのは、それがないと生きていけなかったからだと信じている、よく引っ越しをし、アル中酒乱暴力人に対抗する体も技量も一線を越える覚悟もなく、片親家庭であり、金銭的なプレッシャーをかけられ続けた身では必然的なものだったと思う。 東京生まれ東京育ちだが、ずっと都心にも地方にも疎外感があるな 、と高校くらいから思っている。結局馴染んでいるようにみえて馴染んでいない自分とこの世界を、剥がれないよう、埋めるよう、言葉を連ねてきた感覚がある。エブエブのあの石みたいな感じ、自己肯定ができているときは世界と重なっている気がする。思い出せなくなることが怖い

でもその積み上げてきた理性は、ついぞ私を形作ることはなく、受けた傷やできていたものに対して後追いの理解を及ぼす手段でしかなかった。自分の形がぐちゃぐちゃの吐き捨てたガムより肉塊みたいな好きという感情をもっと丁寧に漉し丸め伸ばし切るように、伝えることができていたら、もっと不躾に全てに手を広げられたんだと思う。

人より感情の揺り戻しが激しいのも理解してきた。まだ数か月前のことに新鮮に驚き、喜び、悲しみ、うれし涙を流したり、呼吸が難しくなるくらい泣くこともできる、でも記憶が幾分昔より弱まってきているので、追憶の中に飛び込めないとこうならないんだろうなとぼんやり思う、それが呪力だったり、地(タン)(悪霊狩猟団)だったり、分霊箱だったり?最後は違うかも、でもほら物や写真から忘れていたことをギュッと脳裏にぶちこまれよみがえる記憶の鮮やかさに身悶えすること、あるじゃん。アレって魂をその瞬間そっちに分けてると思うの。魂の総量なんてなくて、 生きているだけで増えたり減ったり。遠くにいって時間が経てば経つほど自分自身との魂の共鳴はなくなって、なぜか理由がわからな いのにそれを見ていたら涙が出てくるのが、星が大気圏突入するときの最後と同じ
でも人と共鳴を起こすと壊れてしまうんだ、壊れるとその空間ごとえぐられて、ちっちゃなブラックホールが生まれる。暗黒森林とは違って何も奪らないし、障害物としてあるわけでもない。ただ、そこはもう無いものとして峻前としている。
だからもっと衛星のように、ゆっくり言葉というエンジンでみんなの魂に触れないようにぐるぐる回っていきたい、手を取り合って

もう一個わかったのはそんなちんけな言葉を並べつくしても、言葉の出ない瞬間を待ち望んでいるということ。心体両方にとってそれは黒閃だから、破滅をどこかで望んでいて、それは死ぬまでこびりついていると思う。

そのせいか最近安心している。12月は暴飲暴食しても体重が落ちていくばかりだったが、最近は強烈な空腹感は変わらずとも、食が細くなり強烈な空腹感に見合わない量で落ち着き、それでも食後に胃もたれと若干の吐き気が来るのを見てると、理性と同じくらい身体も不調なんだろうなと思えるから。まあ若干逆流性食道炎の気がする、食べてすぐ横になってしまうことをやめたい。

感情の御し方という赤子、思春期のうちに習得するものの第2ラウンドが始まってしまった気がする、まあでもこれが私の感情ですし、この世界に対する見方や温度感や 価値観ですし、それはきっとあなたも持っていて、あなたにうれしい言葉も突き刺さる言葉を投げられても生きていけるんです、もう、それでも

ただ受け入れていたい、優しさと切り取られたり、現実逃避と投げられたり色々言われるけどそれもそういうことですので。どうなるか分からないし、きっと今はそういう時なんだと今だけじゃない過去とこの先の時間の伸長を思うと安心できるし、その中でいる自分の小ささにビクッとしながらも、周りに輝く同じような人たちを見てさらに安心してみんなが思うやさしさに少し近づく気がする、そうやってこの滞在する銀河は見えているのかなと思った

 

ネガティブケイパビリティとサバイバーズギルト
複雑なあなたも私も複雑なまま愛していきたい、5月はたぶんコペンハーゲンに一人で行くと思います、葉書を送ってもいいですか? つたない英語と韓国語、まだマシな日本語でちょっとずつ書きたいと思っています

墓標

今年のまとめ、Celebrate(Red Velvet)とAngel(Little Simz)がトップでめちゃくちゃ嬉しかった。この3か月くらいずっと朝家から駅までの道でずっと聴いてるの

 

 

Celebrateの一番好きなところ、2番初めのイェリのパート

반대로 된 시침같이

逆行する短針のように


나 혼자만 또 시간을 되감지

わたし一人だけまた時間を巻き戻す

後ろのハイハット?が早回しで時を刻んでいる感じなのと、朝のシンとした空気にイェリの声はよく合うんだ、そこからウェンディの力強い声で現実に引き戻されるのもよい

 

Angelは全部とおして好きすぎて、一つ上げられないんだけど、強いて言えばどんどんボルテージがあがってくからラストの3バース目How you go against the same system you were colonised by?からが好きかも…

真面目に歌詞を読み解くとちょっと辛いが、I got angels guidin' my steps, guardin' my life from now until deathと言ってるようにオレにとってもお守りのような曲だった、きっとこれからも

 

DJとAttentionはこんなに聴いてたんだという素直な驚き、Queendomはレドベルへの気持ちが最高潮に達した4-5月、何を聴くにしてもまずQueendomから聴いてたからだと思う。DJは本当にかわいかった、ジャジーで少し大人になりたい背伸びする気持ちになって、でも懐かしい遊び心も思い出されて、Loyle Carnerより聴いてると思ってた。これは完全にガーデンホールに行って見たおかげ。ほんとうに生でみる大事さを思い出させてくれるライブだった。曲に気持ちが乗るとリズムに乗る以上のなにか生きる意味を思い出させてくれるの。

AttentionはなんかSpotifyがいろんなアルバム1巡したあとによくかけてくれてたような、ずっと言おうとしてて忘れてたんだけど、Lollaplazaのヘインのここが忘れられないの…!OMGの2サビ終わりのところ、光に向かって目を細めることなく正対して髪をかき上げるこの一瞬が本当に忘れられない、愛しさと切なさの同居する顔、もうすぐ曲が終わってしまうこの1シーン。どんなに時間をかけてももうオレが人生でこの表情をすることはないだろうな、という断絶さがはっきりとわかって好きだ。
BROCKHAMPTONとpH-1は気づいたら聴いてるんだと思う。

最近はこんな感じ

 

今年1年、特に後半は記憶が定かでないことが多く、波風が立っていないようでなのに隙間風に思わず寒気を覚えてしまうような感じだったけど、断片的に思い出す、きっとこれからも坂道で悪態をつきながら歩いたことや、雨の中小走りで駆け抜けた道、閉店後のテラスに入ってダラダラしたこと、初めて他人にカラオケ行こ・・と言ったこと、あたふたしながら風邪用の食べ物を持ってダッシュしたこと、人の布団で寝る方が自分の布団で寝るより安心して、何も考えず気を失ったように寝てしまうこと、献血をしてフラフラになったこと、生涯忘れられないジャージャー麵に出会ったこと、他人と仲良くなる瞬間の転げ落ちそうなくらいの会話の始まり、全部が、それは受け入れるということのようであり、事象との完全な区別のようであり、私を私たらしめてくれるすべての要素になっていて、その感謝がもうすべてなんだ。

 

来年はそうね、さみしいときはいつでもいって 247営業してます 忙しいのも知ってるし 僕は待つのも嫌いじゃない

みたいな感じでいようと思う、普通であるかのように普通じゃなくいたい、私が私でいることに安心して、その安心さが一緒にいるあなたに少しでも伝わって、夏の木陰に座った時にさっと吹くそよ風のような心地よさを感じてくれれば。

元気ですか?

元気じゃないです、よく休日なんか平気で12時間寝れてたのに6時間しか寝れなくなったし、夜中に起きてしまうようになったし、夢も見るようになったし、その結果おかげさまではやり病にもかかり、久しぶりに高熱を出し続けて起きているか寝ているかわからない日々にたどり着き、なんとか元気になってきたの

大阪に行ったんですね、出張で。そこで仲良くなった人の集まりに急遽お誘いいただいて3週間後にまた大阪行ったんです。なんか最近記憶がぼんやりしていることが増えて、先週なにしてた?も、昨日も何食べたっけ?みたいな感じで思い出せないなら毎日ほぼ同じもの食えばいいじゃんと思って、月水金はスンデュブを、火木はうどんを、みたいにして過ごしてたから、自分と同年代の人が、こんなにも色んな生き方をして、オレしかこんな感情になってないやろ!ということも当たり前のように経験し、過去のものとしてとらえることができ、日々やこれからを考えながら過ごして、ここにいるんだというところに感じ入ってしまって、たぶんこの前だったら絶対に行ってなかったんだけど、清水の舞台から飛び降りる感じで参加してみてよかったなあと思う。出張時、仕事と打ち上げでのテンションが違いすぎて、おもろかったわあ~だから誘ったねん、と言われ、ちょっと最近感情の浮き沈み激しくて~すみませんね笑、と返したけど絶対違うなあと、「ち」の瞬間で思ったのにそこで止まれなかった、最近は口の締まりも怪しげ。もうちょっとストレートに褒められるような人間にはなりたいと思う。

帰る日の朝、カプセルホテルで絶対熱出るって感じで扁桃腺の腫れを感じながら起きて、とりあえずカロナールとアクエリを一気飲みして、ヒートテック着て横になったら、身体の全身の汗腺がぶわっと空いて、汗を大量に流し始めて、バキが砂糖水で超回復するみたいな感じで。そのあと耐えきれない睡魔が来たから1時間だけチェックアウト伸ばして寝たら熱っぽさ完全になくなって、身体が生を渇望しているところに泣いてしまった。おめー死にたいんかと言われるとそれは違うんだけど、幸の感情が一瞬で過ぎ去ってしまうのに負の感情は毎日新鮮に目いっぱい押しつぶしてくるので、なんだか初めて満員電車に乗ったときの感情を繰り返しているようだったから、しんどかったのが正直なところだったし、それを認めたくない自分にようやく気付いて、そんなことを思いながら家に帰って寝ようとしたらめまいと悪寒でアーまたそうやって身体があんなに朝頑張ったのにオレは…となって寝て、このザマよ

 

過去の大きい決断が今でもすごい影響を人生に与えてるというわけではなくて、毎日のルーティンが自分を作り上げていくというか、お墓参りなんてその典型だと思うんだけど、信じているかいないかではなく、自分の所作から勝手に思いが出ていくというか一連の行動で正気になれることもあると思う。朝練のシュートとかそんな感じ。でも、逆に人生の中の大きな流れ、逆らってもいつの間にかまた戻ってきてる流れもあって、その中に穢れの部分もあって精神がかなりふさぎ込むこともあれば水浴びにちょうどいい清めの部分もあって、そんな流れにゆだねている気持ちもあるんだなって、それをカプセルホテルで感じたりもした。

まあでも、そのあと4日間、何か食べようとしたら全部吐くわ、39度から熱は下がらないわ、手足はキンキンに冷え切ってるわ、喉は痛すぎて唾を飲み込むのすらたまに涙が出るくらいで、精神の揺れによる削られ方というよりかは精神のキャパを支えている身体の揺らぎによる精神総量の削られがあった気がしてしんどかった。2日間くらいはトイレすらギリギリで2時間おきに起きて、痛い、眠い、寂しいと思っていた。病のときってしんどいより寂しいがくる。4キロやせたんだけど、5か月くらい頑張ってた筋肉が落ちた気がするのも寂しい、そんなさっさと出ていかないでよ

FreePalestineのデモに行ったんだけど、あまり褒められた目的ではないというか、どうしても他人と一緒に何かをしているという実感が欲しくて歩いて、こう偽善からくる気分が悪くなったままハチ公前まで行き、人と音の波に負けてそっと帰ってしまったり、毎日考えない方がいいことを考えていたり。考えなんて、行動を正当化するための手段でしかないんだから、もっと何も考えずにすればいいんだけど、どうも感情が止まっていて、動き出すこともイヤがってるんだよね。

もう他人が何考えてるかもよくわからなくなってきたし、自分も何したいのかわからない時間が増えて、文字で読む人の感情をすすって、いろんな人の作品を読んで勉強しているところで、35まで独身だったらパイプカットされて宦官になる世界だったらもう少し広い範囲に誠実になれたかもしれない。

マレーネ・ディートリヒの「顔を合わせても私生活や悩みの話はしない。すればお互い親身になって聞き入り、頼みを断らないのは分かっているが、しない。友人の存在と、友人の視線が私へと注がれるだけで私というバッテリーが充電され、元気がみなぎってくるのだ」って大切な友達の定義、ここまで自他を律していることはまだこの年になっても全くできないんだけど、たまに夢に会ってない友達が出てくるときがあって、連絡したくなっちゃったりする。

話しかけにくくなった人に久しぶりに声をかけなければいけないとき、なんて最初LINEで話しかける?というときに、「元気ですか?」じゃないと言ったらそれはないと言われてサイコパス診断かと思った。みんなは、久しぶり!とかお疲れさま~!とかで用件を言って切り上げるのがほとんどだった、それってお世話になっております。じゃんとは思ったけどそのくらい無味乾燥じゃないと逆にダメなんだなって知った。

あ、なんか鼻血出てきちゃった、病み上がりだから寝るね

Eyes Locked, Hands Locked

掬いきれず指の隙間から、瞼の裏側から、唸る声の底から、記憶が文字通り消えていくことを実感している。

全然、忙しさにかまけて"いい”文章を浴びていなかったから貧相な私の頭や腕や心は、書きたい!という気持ちがあってもそれを最後まで書きあがることはおろか、書いてみようとすらせず、なんとなくいい気になっていただけでした。

どこか現実に苛立ったまま歯車となってすでにキイキイと音が鳴る私は、それが怒りなのか、自分への嘲笑なのかわからないまま、気分がよくなればなるほど口から嬉しいことと同じくらいもしくはそれより多く自分の日々の小さな怒りを話すようになりました。歯車になった瞬間、厭世観によって保たれていた自身のキレの良さというものはなくなり、皆は体よくみんな社会人になると面白くなくなるなwと言っていますが、ちょっとずつそういったものは蟲毒になり、時々思い出したかのように身体に嫌悪を抱かせるのかもしれません。この間も、首が長くなったねと旧知の友人に言われ、素直にキャッチボールができないせいでたまに思い出して筋トレに精が出てしまいます。筋トレはたばこをやめてから自分の体調を計るのに特にちょうど良いものであり、日常に一定のリズムが生まれ、最近は特にやっていてプラスに思えるようになってきました。

 

それでもこの数年で周りに人が増えるようになりました。そんな私すら喜んでくれる人がいる、というのは幸せであり恐ろしいことでもあり、徐々に体から毒気も抜けていき、まだまだすぐに集めてしまうけれど、有り体に言えばなんとかやっていますというような状態なのかもしれない。

5年前の私はまさか会社の人と大学の人を恋愛のレールの上で繋ぐ仲介者になっているとは思いもしないでしょう。そのレールの行く末は関与せず見守っていたのですが、さっき一つの終着点についたという電報がやってきて、善くあろうとすることより貪欲であることが勝ってしまい、その電報に返信すらしてないのに、ただ自分と殴りあうことにしてしまった。

これを書ききって床につき明朝「お疲れ様。ジョギングしたほうがいいよ。体の水分を蒸発させ、涙が出ないようにしよう」と電報に返そうかなと思う。

いつだって差し出した手のひらの裏側を穿ってしまい前を見ることもなくそのまま棒にぶつかるような私は、ここ数年、とにかく言葉を交わし、その中で褒め怒られ、謝り謝られることで関係性を保ち、孤独から逃れていたが、すべてをさらけ出しても面白いように波があり、特に何も気にせず生きていられる向こう数年を思うとこの日々の波に打たれていられることは本当によいことだなと時々思っている。ものすごくうまく生きているような、一見するときらびやかで自由に見えるあの人も、すごくコントロールされた意識的なものがたまに見えるようになってきた。話していて思考に口が追い付かずヒートアップするあの瞬間と前に座っていたあなたたちの目が一瞬輝く瞬間を大事に、何も取りこぼさないように、刹那の綱渡りを相手を信じて、信じつつもすべて体を預けることなく駆け渡りたい。驕り高ぶらないように、怠惰に沈まないように。

時折、特段意識もしていないが話にあがる愛について、その時々の勢い・センス・最近吸収した文章を組み合わせ言い放って満足しているものですが、今はどうしたって消えない断絶にもがくことが愛なんじゃないかと思っている。たぶん2か月くらい前は受け入れる、と言っていた気がする。私は社会に馴染もうと自分の話を特に赤裸々に語ることで相手に受け入れてもらうような癖がついてしまい、若干気持ちよさも感じるようになっていますが、共感してくれなくても周りに友やパートナーがいるということを実感できるようになってきた。でもそのうえで貪欲なのであなたのすべてを掴み抱いて眠りたいと思っている。

もう一つ殴りあうことを放置していた、R to Vについても

第一言語が同じでも3年生まれが違うだけで全く別の人種に感じるように、生まれも言語も別の人たちの本当の気持ちなんて正直全くわからないし、それでは悔しいから勉強はしているけれどその足取りも重く、全てをわかることは厳しい中でそれでも彼女らを好きでいたのは、根っこの音楽でしっかりと繋がっていたんだなと再度思った。あまりにほだらかで同行人はソウルで一回でおなかいっぱいかなと言っていたその観客の一体感(その中は音楽を大音量で浴びることが好きな人もいれば、同じ空間に確かに実在していることを認識しに行っている人もおり、記録に収めに行くことが好きな人もいますが)に酔いしれていたのも事実で、それでも日本で2回目に見たときに感じた、桃源郷を一時の幻で見させられているかのような、放課後部活をサボって昼寝していた時に聴こえてきたブラスバンドのような、どこか振り返ってしまうような1か月を総括するライブでした。(見返していて思い出したのですが、サボってという言葉の裏で朝からずっとおなかが痛くて授業中人目もはばからずトイレに何度も行ってさすがに今日の部活は休んだ方がいいと前に座っていたキャプテンに言われて本当は唸りながら机の下で本を読んでいたのが真相でした)

冒頭の切り口は完全にここから始まっているけど、感想を言おうとすればするほど語り切れない部分を見つけてぽつぽつと抜けていく気がして、それに耐えきれなくて全然しゃべれなくなってしまった。もっと落とし込みたいし、しゃべりたい。多分そうしているときが一番生に寄り添っているということだと思っているし。

(下書きより)

・信仰という言葉は嫌だけど、ZimzalabimやOh Boyを聴いていた時に感じるこの瞬間が永遠であれば、という感情はその端くれだなと思った。

・本当、楽すりゃ口から放つ言葉の解像度は下がり、顔もブスに仏頂面になっていくんだろうな。少なくとも彼女たちが見せてくれる景色に顔をそむけないくらいの生き方したくない?

・海外でライブを見た翌日は魂が抜けているので早く出国した方がよいという知見

・イェリの誕生日の手紙の「綺麗な愛がいつも私のそばにあったから17歳の友達が間違った道へ行くことなく寂しくないよう、この簡単じゃない芸能界生活の中で正しく成長できたんじゃないかと思います。私は今の私がかなり気に入っています。まだ足りない点も多いけど、私が私自身を、そして周りをよく気遣って愛してあげる暖かい大人になっていきたいです。まだ大人が何なのかはよくわかりませんが」という文章がとにかく胸を反芻してる。

 

あんな風に紙吹雪が眩しく見えるくらいのライブを、生を感じていきたいなと思う。

朝顔の観察日記なんか大人になってからやった方が楽しいに決まってるって

220627-220701

6/27

仕事の関係で初めてマンゴーを食べた
マンゴー、絶対いいところのものだったと思うんだけど、なんかホヤ(貝)水っぽい感じが外側に近いところの果肉を食べたらしたんだけど、なんで?
職場の人に言ったらわからなくもないけど、今食べてるからやめてと言われた、そもそもホヤは一般的にそこまで皆が好きでないということを今知った。
こう、わからなくはないという言葉の、可能性の低い共感に喜ぶ自身の感情の発露はいいですね。


6/28

ふと見たらGINZAの私と部屋というコーナーがちょうど100本目になっていて、キリがいいので好きだった回を思いだすことにした。
思い出すといっても、事細かに第何回と覚えているわけではないので、面倒くさいけど、一から見るしかない。全バックナンバーはなくなっているようで、魚拓取るか…?いやでも日記はその時の一時性がいいから等と怠惰を塗り固めてうだうだ
でもこういう思い出す作業は仕事以外で、誰かに話すとかでなければ割と好き。
日記を書く、という行為も、分霊箱を作るのと同じで、書いたから忘れられると思っている節がある。過去のツイートに残した愛をみるとほほえましくなる。

第27回 

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リノベの時に自分で色を塗ったと山本さんが書いていた写真がよく覚えてる、セブンチェアいいよねぇ…表紙にはなってないけどスパイファミリーのEDかで一回出てきて、相手校の偵察に来ていいプレイに思わずうおっと目を細めるスポーツ漫画でよくいる強豪校の根はいいやつになったのを覚えてる


第79回 

ginzamag.com


これまた好きデザイン椅子だった、イサムノグチの照明本当に買いたい…


Vol.80 

ginzamag.com


構図と黒猫と、「Ark Jounal」欲しくなっちゃったという理由、今safari開いたらブックマークしてた。



6/29

いつも同じ時間の電車に乗るおばはんがいます。

その人と、渋谷と同じくいつまでも工事が終わらず永久に階段もホームも狭い御茶ノ水駅で降りて乗り換えるんですが、その人は、階段前の電車のドアに1駅前から必ず陣取り、降りた瞬間階段を駆け上がります。

ここ1年と2か月ほど同じ電車に乗っているけど、その人は雨でも風が強くても改札出た後、乗り換え先まで走っています。そこまで早いわけではなく、千代田線の長いエスカレーターを下っているときに後から電車を降りた自分がたまに追いついてしまうくらいのスピードなんだけど、全身から、「どけ」という気迫があり、しょっている小さなリュックもいつもパンパンで(以前あれにぶつかっている人が思わずカチンと来ている顔をしていたから、多分かなり重いんでしょう)、当たり負けしないというか、ちょっとやそっとじゃびくともしない走りで。道を作っていただくことに感謝しながらいつも後ろから歩いて追いかけています

今日はヤバいなと朝最寄り駅のホームについた瞬間思いました。1年と2か月のうち、早々最寄りのホームで感じたことのない暑さでした。

電力予報を見ながら、国におべっかする会社が、電力需給逼迫注意報のおかげでクーラーを30度にするとか扇風機使用不可にするとか言われたら体調不良にして家でテレワしようとか思っていると、その人もいつものように乗車してきました。

その人もめちゃくちゃ暑そうで、シャツにリュックのしょい跡が残っていました。

そんなこんなで御茶ノ水についたわけですが、いつものように階段を駆け上がるその人でしたが、ついに改札を出た後の歩道を歩いていました。1年と2か月で初めて見る姿に不思議と申し訳なくなりつつ、こりゃ相当今日は暑くなるなと、11時30分に外部で会議があったことを激しく後悔しながら出勤しました。



6/30

ワニの隣で眠りたい、という呟きを見かけて、アーーーわかると思って、でもこれって『pink』読んでるか読んでないかで受取り方が全く違うよな、と思った。あの作品における都会のワニ、の印象殊更強くて、というか、ストーリーがなく、ただなんとなく動く主人公たちの、弛緩しない、ずっと転が続く展開がよりワニを印象付けているのかなと思った。早く自分も都会のワニになりたいなと思った。なんか、『pink』のことを思い出すと同時期に読んだ魚喃キリコの『blue』も思い出すんだよね。比喩が伝わるバックグラウンドをの断絶を感じたときに、(今同年代が感じているアイコンとしての)”おじさん“に近づく気がして、今1本増えたかもしれない白髪のことを考えたりした。



7/1

異動する同期への飲み会、最初7人だったのに濃厚接触者やら胃腸炎やらで4人しか来なくなった。先週の金曜は当日席開いているところを探したら5件くらい立て続けに断られたことをおもいだし、今回はちゃんと(当日に)予約することにした、

最近は毎週のように飲み会があり、業務上関わったけれども、プライベートの話をしたことがない/するつもりがなかった人と半自発的に(ラザースフェルドのオピニオンリーダーではないけれど幹事が信用できるから誘われるとホイホイついていってしまい)参加するので、なんというかちょっとだけ情が出てくる、私はペーペーのままでもいいと思っているくらい社会的地位その他もろもろの興味がないので、良くも悪くも鉄砲玉みたいに思ってしまう節があるけれど、こういうことで大学生の頃とか繋がりがどんどん生まれていったんだなと、追体験している気分になって、否応なしに取り込まれる社会(結局陽キャのコミュニケーション能力が高くて熱意がある人が気づけばパワーを従えて動かしていくんだろうなという未来が)ふわふわした頭に浮かんできて、その地盤をちゃんと固めるために掘削ができるかというところをしっかりやっていきたいなといち歯車は思うのでした。電車が前の駅で止まったらしいけど帰れるんかしら。

 

 

220620-220624

6/20

「複雑性」を理解するにあたり、私は東京から多くを学びました。たとえば西沢立衛藤本壮介(Sou Fujimoto)の建築では、日常の街路において、多くの要素を持ちながら、同時にとてもシンプルなバランスを持った家が実現している。藤本は「家の中とは都市の中で最もプライベートな領域であり、通りは家の中で最もパブリックな部分」と言っている。バラバラに存在しているのではなく、深さの違いなのだと。

 

infrastrucutre of everyday dignityーー今日の都市インフラとは、人々の日常生活の尊厳を支えるためのもの。我々はこれを勝ち取るために、今後も取り組んでいきたいと思います。

社会を変える、行政とデザインの現在[ダン・ヒル] |I-Openプロジェクト | 経済産業省 特許庁

 

この一文が好きでメモに残していたんだけど、件の区長選でも論点に挙がっていてよかった、それにしても都市計画を覗くのは面白い、東京の生活史を文喫かどこかで座って眺めていた時にも思ったけど、いろんな人が資本主義の下で立ち位置を持っていてこんなに見方が違うのかと思うと、資本主義のことをもう少し好きになりそうな気もする

 

6/21

英文を読んでいたら眠気に襲われてブックマークの整理を始める、

他の仕事をして紛らわせながら黙々と英文を読む、目が英単語の上を滑ってしまうときと、ちゃんと意味をくっつけながら読めるときがあって、今日は後者だった。

 

ラインナップをなんとなく見ていて、目黒シネマに気軽に行ける場所に住みたいなと思った、家賃と譲れない部分のシーソーゲームをしながら物件を軽く見て、そっとブラウザバックした。

 

6/22

 

この記事がとてもとてもよくて、ズビズビしながら読んだ、特にここの最後の部分

 

はじめのポリフォニー構造の話に戻ると、展示を協働するうえでは、それが自分の家族であっても倫理的な配慮がもちろん必要だし、同時に、私自身が昔の家族ものの映画とかドラマみたいな、家父長制的な役割を押し付けるようなものが大嫌いということもあって。それぞれの視点のすれ違いもそのままに、それぞれ個別に家のなかに置かれる必要があったということでもあります。初めてお会いする方にいきなり家の話を始めても、たんによその家の特殊な事情の話で終わってしまうこともあると思うし、プライベートなものを共有できるかたちで扱うには、距離も、愛情も、両方必要な気がするんですよね。

「芸術も国家も福祉も私自身も、根本から狂っていると思いました」佐々木健インタビュー(聞き手:福尾匠)|Tokyo Art Beat

 

ワンピースを昨日からカイドウ篇を読んでいて、飯をいっぱい食べれる国にしたいというルフィの行動の発端が、というか、独裁国は漫画の中でも大体しわ寄せが起こっていることが、余計に感情移入した。キングダムは中々感情移入したいんだけど、多分どの国も歴史小説における神の視点というか、フラットな距離で見れるせいで感情移入せずに(させないように)読めているからなのかもしれない(もちろん趙国は今のところツラいが…)

 

6/23

15時くらいから5人くらいとそれぞれチャットしていたら18時になっていた、仕事は返信考える間にしていたので、チャットしなかった時に比べて3割くらい進んでいる…

チャットは、短時間でバーッと雑談するのが楽しいし、3割近く話題に乗り遅れることがあって、展示期間が過ぎてしまった展覧会みたいでちょっとだけ毎日悲しくなる。

 

スケジュールに今週限定で毎日19時から1時間定期的な予定として入れていた作業がおわった、ルーティンで1日1時間じゃないとあまりに単調作業すぎて絶対に寝てしまうレベルでクソだったので、うれしい。

 

初めてのメンバーと夜ご飯を食べた、

仕事でもかかわりがない他部署の人たちで、誘ってきた当人は仕事が立て込んで全く来れなくなって、久しぶりに頭をフル回転させて会話が途切れないように気を遣う飲み会だった。遅れた幹事が来て一気に会話が回り始めたときにやっと酔いもちょっと回ってきた感覚が心地よかった

 

6/24

今日は暇になる予定のはずだったが、ちまちま作業していた案件すべてが次の作業フェーズに行くことが決まる会議が午後に3つあり、基本会議ではあまりまだ発言できないので、今日の飲み会のメンバー確保と場所の確保をしていて、それが終わらない+方針が決まってしまい、作業が降りかかってきてちょっとだけイヤだった。

でも去年に比べるとまだまだ大丈夫で、自分の頑張り、計画性次第でなんとかなるものは、自己肯定感にちょっとだけ貢献してくれる。

予約しない新橋の金曜日は最悪で、でもエスカルゴは美味しくて、ボロネーゼは絶対に自分で作った方がおいしかった。夜風と湿気の立ち位置がばっちりだった夜