元気ですか?

元気じゃないです、よく休日なんか平気で12時間寝れてたのに6時間しか寝れなくなったし、夜中に起きてしまうようになったし、夢も見るようになったし、その結果おかげさまではやり病にもかかり、久しぶりに高熱を出し続けて起きているか寝ているかわからない日々にたどり着き、なんとか元気になってきたの

大阪に行ったんですね、出張で。そこで仲良くなった人の集まりに急遽お誘いいただいて3週間後にまた大阪行ったんです。なんか最近記憶がぼんやりしていることが増えて、先週なにしてた?も、昨日も何食べたっけ?みたいな感じで思い出せないなら毎日ほぼ同じもの食えばいいじゃんと思って、月水金はスンデュブを、火木はうどんを、みたいにして過ごしてたから、自分と同年代の人が、こんなにも色んな生き方をして、オレしかこんな感情になってないやろ!ということも当たり前のように経験し、過去のものとしてとらえることができ、日々やこれからを考えながら過ごして、ここにいるんだというところに感じ入ってしまって、たぶんこの前だったら絶対に行ってなかったんだけど、清水の舞台から飛び降りる感じで参加してみてよかったなあと思う。出張時、仕事と打ち上げでのテンションが違いすぎて、おもろかったわあ~だから誘ったねん、と言われ、ちょっと最近感情の浮き沈み激しくて~すみませんね笑、と返したけど絶対違うなあと、「ち」の瞬間で思ったのにそこで止まれなかった、最近は口の締まりも怪しげ。もうちょっとストレートに褒められるような人間にはなりたいと思う。

帰る日の朝、カプセルホテルで絶対熱出るって感じで扁桃腺の腫れを感じながら起きて、とりあえずカロナールとアクエリを一気飲みして、ヒートテック着て横になったら、身体の全身の汗腺がぶわっと空いて、汗を大量に流し始めて、バキが砂糖水で超回復するみたいな感じで。そのあと耐えきれない睡魔が来たから1時間だけチェックアウト伸ばして寝たら熱っぽさ完全になくなって、身体が生を渇望しているところに泣いてしまった。おめー死にたいんかと言われるとそれは違うんだけど、幸の感情が一瞬で過ぎ去ってしまうのに負の感情は毎日新鮮に目いっぱい押しつぶしてくるので、なんだか初めて満員電車に乗ったときの感情を繰り返しているようだったから、しんどかったのが正直なところだったし、それを認めたくない自分にようやく気付いて、そんなことを思いながら家に帰って寝ようとしたらめまいと悪寒でアーまたそうやって身体があんなに朝頑張ったのにオレは…となって寝て、このザマよ

 

過去の大きい決断が今でもすごい影響を人生に与えてるというわけではなくて、毎日のルーティンが自分を作り上げていくというか、お墓参りなんてその典型だと思うんだけど、信じているかいないかではなく、自分の所作から勝手に思いが出ていくというか一連の行動で正気になれることもあると思う。朝練のシュートとかそんな感じ。でも、逆に人生の中の大きな流れ、逆らってもいつの間にかまた戻ってきてる流れもあって、その中に穢れの部分もあって精神がかなりふさぎ込むこともあれば水浴びにちょうどいい清めの部分もあって、そんな流れにゆだねている気持ちもあるんだなって、それをカプセルホテルで感じたりもした。

まあでも、そのあと4日間、何か食べようとしたら全部吐くわ、39度から熱は下がらないわ、手足はキンキンに冷え切ってるわ、喉は痛すぎて唾を飲み込むのすらたまに涙が出るくらいで、精神の揺れによる削られ方というよりかは精神のキャパを支えている身体の揺らぎによる精神総量の削られがあった気がしてしんどかった。2日間くらいはトイレすらギリギリで2時間おきに起きて、痛い、眠い、寂しいと思っていた。病のときってしんどいより寂しいがくる。4キロやせたんだけど、5か月くらい頑張ってた筋肉が落ちた気がするのも寂しい、そんなさっさと出ていかないでよ

FreePalestineのデモに行ったんだけど、あまり褒められた目的ではないというか、どうしても他人と一緒に何かをしているという実感が欲しくて歩いて、こう偽善からくる気分が悪くなったままハチ公前まで行き、人と音の波に負けてそっと帰ってしまったり、毎日考えない方がいいことを考えていたり。考えなんて、行動を正当化するための手段でしかないんだから、もっと何も考えずにすればいいんだけど、どうも感情が止まっていて、動き出すこともイヤがってるんだよね。

もう他人が何考えてるかもよくわからなくなってきたし、自分も何したいのかわからない時間が増えて、文字で読む人の感情をすすって、いろんな人の作品を読んで勉強しているところで、35まで独身だったらパイプカットされて宦官になる世界だったらもう少し広い範囲に誠実になれたかもしれない。

マレーネ・ディートリヒの「顔を合わせても私生活や悩みの話はしない。すればお互い親身になって聞き入り、頼みを断らないのは分かっているが、しない。友人の存在と、友人の視線が私へと注がれるだけで私というバッテリーが充電され、元気がみなぎってくるのだ」って大切な友達の定義、ここまで自他を律していることはまだこの年になっても全くできないんだけど、たまに夢に会ってない友達が出てくるときがあって、連絡したくなっちゃったりする。

話しかけにくくなった人に久しぶりに声をかけなければいけないとき、なんて最初LINEで話しかける?というときに、「元気ですか?」じゃないと言ったらそれはないと言われてサイコパス診断かと思った。みんなは、久しぶり!とかお疲れさま~!とかで用件を言って切り上げるのがほとんどだった、それってお世話になっております。じゃんとは思ったけどそのくらい無味乾燥じゃないと逆にダメなんだなって知った。

あ、なんか鼻血出てきちゃった、病み上がりだから寝るね