ウェンガのことが好き。国内から引きずり下ろされた悔しさ、腑抜けた国に飛ばされたことへの怒り、勝ちへのプレッシャー、焦り、執着。そういうぜんぶを「他を見下す」ことに変換して保っているとこころが。全部が自分のせいだってことも分かっているから、確実である実力差に縋ることでしか平静を保てない。かと思えば相手にスコンクで勝ってしまったら、こんな弱い奴しかいないところまで落ちてしまった悔しさで泣きそうになる、どう考えても好きだ(ピンポンの登場人物の話)
思えばこの凪のような4年間の始まりは周りを見下すことでなんとか登校していた。
第一志望に落ち、卒業式の中未だ決まらぬ進学先、なんとか滑り込んだ後期の学校で春から◯◯もできなかったし入学に書類を用意していたらのう説明会的なものが始まっていた。
最初に話しかけてくれた人はかなりの確率で話が合わなかったことも、飯を食いに行ったらどこの新歓でも都民だー!と言われ、今思うと会話の始まりがなくて手当たり次第プロフィールを打ち返してたにすぎないのに。高校で頭が切れ裕福な人をたくさん見てしまった以上都民という言葉が蔑み、分断のように聞こえて、次第に見下すことで日々を過ごしていってしまった。
そんな所在なく過ごしていたときに話しかけてくれて今でもダチでいてくれてる同学部の何人かには感謝と頭の上がらない気持ちでいっぱいだ。
友人と他何人かのグループワークで各々のやってこなければならない作業を1人がやって来ず〆切が近いこともあり、授業の評価が低いと自分の借金が増えることもありかなりボロクソに、今でも覚えているくらいかなり言ったときにしっかり叱ってくれたことや、
学食はまずいし換気がほぼないせいで午後の教室は酸欠みたいになることもあって午前中の講義しか受けたくなかった当時の自分は時間割のほとんどを午前中に詰め込み、どうしても取らねばならなかった午後の講義は友達に頼んでノートを見せてもらっていたことや、
息をするように人の悪口を言っていた私を叱るでも笑うでもなくほっておいてくれたこと
少し恥ずかしくなってきたのでこのくらいにしておくが、とても助かった。3年間ほぼ隣で過ごしてきたのに先週初めて学食以外でものを食べたのは申し訳ないと思っている。
中高を通して、自他の境界線というものが、ほぼ毎日同じ時間を共有しているかどうかというところで培われてきてしまったので、生の実感が足りないというか、サークルやアルバイト、学部の友だちはその時間が少なすぎるし夏休みが終われば全ての人物にはじめまして....くらいの気持ちでいたので最近ようやくそのよそよそしさが吹っ切れた気がする
中高では同じ部活の人としかなかった、一つ屋根の下で24時間以上過ごすということはその自分で引いた境界線を揺るがしてくれた。
凪のようなと言ったが、自分から衝撃を与えればその寄せ返しはしっかり届くものであり、それに気づかなかった自分は確かにいた。
最近は緊張の糸を絶やさないで何時間も過ごすということがかなりできなくなっていて、とどのつまり、浴びるものイコール鑑賞したいものがなくなってきているというか、映画を観ることや展示物を見に行くことが億劫になってしまった。あれほど好きだった音を浴びに行くのも、浴びずに一年なんとか生きて来れたというより、なければないで生きてきてしまったことがとにかく虚しい。
虚しい中でもちろん助けてもらったコンテンツは今現在の石油埋蔵量より多く、レドベルから始まり最近ではDr.Stoneなど....
とにかく一気読みすることができる4年間で、今年は特に完結したものを没入して読めたことが間違いなく助かっていた。
音楽も余韻を感じるというよりは音数の多さや聴き馴染みのない音を使ってこちらを置き去りにしていくような曲を好きになっていっている気もする。
音楽の好みの変化からすれば浴びせられることは間違いなく好きなはずなのに、とにかく億劫だ、今は
この間たまたま店にいた人たちの殆どが走るか歩くことが好きと言っていて、たぶん一番若いはずなのに歩きたくも走りたくもなかった自分の根っこはこの辺にあると思う。
しかし4月から激務が、半端じゃない激務が(今思うと内定式で地獄の底が知りたくてキツい方がいいです!と2択に答えたことに少し後悔が....)待っているので治りかけのかさぶたをいつまでも掻いてしまって何をしていたんだろうと思うような時間は少なくなる。空想家は空想家のままでは生きていけなかった
いつまでも天井を見ながらアレコレ考えるのも、毎日泥水から這い出て社会に迎合していく訓練をするのもどっちも今は胃もたれがする
この一週間は騒がしかった。追いコンから始まりブロックされていたと思っていた友達から電話が来たり、毎日違う布団で寝ていたり、ずーっと動いていた線がこの4年間で初めてこのまままっすぐ進んでいてよかったのかなと思い始めてその場にとどまることが楽なことに気づいた線が、錆びついた歯車をゆっくりと後ろから押して行って時が動いてく
ぺこぱかな?多分言ってた、知識は望遠鏡という言葉がDr.Stoneの中でも雄弁に描かれていて、根っこはキングダムと変わらないんだけど
人生なんて穴掘りと変わらないところから言葉を通して、技術と知識と経験を伝えることで初めて点が線になり立体へとつながることがたまらなく胸を熱くさせた
あの漫画の信頼の勝ち取り方、4月からも忘れないでおきたいな
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下書きにいれっぱなしだったの悲しい、せっかく卒業式に合わせてちょっとずつ書いていたのに、
なんかもう文章書けね~と思い込んでいたけど、とどのつまりずっと家でなにをするわけでもなくダラダラしていたら何も書けなくなってしまっていて、どこまでも私は水をためたスポンジを時々絞り出さなくてはいけなかったんだなという気持ち
去年新卒ふぉろわ~の半分以上が休職か離職しててちょっと怖かったけど1か月たった感想は、上司と気が合うか4割、教えてくれるぐらいの忙しさ4割、達成感でも好奇心でも根性でもいいので内省すること2割、ぐらいだった
激務だとわかっていた仕事は配属ガチャSSRで、みんなこちらの力量を把握したうえで仕事を投げてくれて、
ハードな仕事(のほう)がいいですと内定式の時に伝えたけれど、なんかすごくいいねという感じ。
課長と課長補佐はクセ強め、補佐は特に。それでいてめちゃくちゃ頭が切れるのでナニクソ~~とたまになる、すべて見透かされたうえで話しかけてくるから業務上だと特に。
自分より経験値抜きにしても頭のいい人がいっぱいいて会社は好き、でも残業が多すぎる、残業が多い次の日に自分で右も左もわからないけれど考えなくてはいけない仕事がくると、少しだけ泣きそうになる、大体2、3回突き返されるし、
レペゼンWILL強い意志をもっているお前なんてぜってー負けねえから(句潤)って毎週過ごしてる、金曜特に毎週補佐に提出するものがあってね
教えてくれる一個上のお兄さんともう少し上のお姉さんは後者はいろんな激戦区を潜り抜けたんだろうなって人、前者は去年相当忙しかったここで荒波に揉まれまくってなんとか生き抜けた人。つまり二人とも優しい、突き放すときも、これは覚えて、2回目だしと言うときも根っこの部分でやさしさが見えてしまって指摘されてるのにニコニコしてしまいたくなる時は少しあった。でももう異動だから...お世話になりました!
課長はいろんなことに興味津々でそれでいて事業拡大の根も生やそうとしててやり手なんだろうな、、という感じで、もう名前を間違えました私(気にしない人でよかった)
でも怒りの沸点がまだわからないので気を付けてこ、という感じ。
でも課長が言ってたせっかく東京のど真ん中にいるわけだし出勤したらお昼は外に食べに行ったほうがいいというのは給料日からなるべく週1、2で実践してる。先週の20度前半湿度30パー未満な気候、最高だったね、忘れずにいたい。
どうでもいいラインすぐ既読無視してたせいか、一つ一つ仕事の完了でも、仕事投げられた時でもメールでしっかり返信しないといけないので一回しっかり怒られたくらい、他はまあ右も左もわからないからなんかチート感覚の許され方してる、毎日昼に登校してたあの子みたい
明日初めてテレワークなんだけどモニター家にあってよかった~~マウスもいいの使える、たくさん音楽聴きながら仕事したい、電話とるのバイトで慣れてたから苦では無かったけれど、やっぱり取らなくていいの絶対楽だよね。この2週間くらい通勤時ずっといろんな音楽聴いてた、それしかできなかった、やっと余裕が持ててSNS見れたりしてる今週、明日からのGWのためのプレイリスト作ってる今日
同期とランチに行った、店と場所を選ぶおかげで遅刻しても許されるのたぶん100回くらいもうやってる。たぶんみんなお酒好きな人たちだったから夜に会いたいねという〆であった、仕事の話ばかりしてた。
すごい研究の話を面白おかしくしてたのに最後に(辛くて)院になんて行かなければよかったと話してた彼が一番面白かった
これ書きながら見てたinthahoodのVaVaの家にデッカい七咲のポスターあったのかなり親近感わいた、90年代生まれの男でアマガミやってきた人と反芻するのめちゃくちゃたのしいもんね