いつまでも文化祭気分
ちょうど去年の今頃、今も切ってもらっている美容師に出会ったんだけどこの3か月くらいずっと釣りかキャンプの話をしてくる。
最初はへ~~と純粋に思っていたのにこの間、ついにまたか....と思ってしまった。
釣りに関しては、前に1回やった時に冬の少し暖かい日で、待っている間にアスファルトで寝てしまうのがよかったです、釣れたかどうかは特に覚えていないですと言ってしまって、釣り好きの人にこの口ぶりは、座禅してる人の前でバカでかいため息ついてスマホのスクショをしている人みたいだなと思って反省した。
キャンプは懲りたのでへ~~面白そうですね~~このご時世人気ですよね~と言って結構ヘラヘラしていたのにこの間どう?と聞いてきたので、思わず、
キャンプをする準備をしているときも、キャンプのご飯を準備しているときも、星空と肌寒い夜風を背中に浴びながらテントのチャックを締める時も、片付けに対してふと憂鬱になってしまうので、あんまり....と言ってしまってあーあー。めんどくさいやつと思われていることでしょう。自分の余暇を楽しませてくれるものに斜に構えられていたら…
いつまでも文化祭当日のどことなく高揚した雰囲気と非日常感にうんざりしつつもそこに興じていた時間のままでいたい。
現実との落差にも、その違いをわかっていても毎回ウッとする自分にも、それを考え始めた物事が始まる前の状態で少し嫌気がさす状態も、一時超えられない壁として立ちはだかる。(最近寒くてもようやくシャワーを浴びることができるようになってきた。去年は就活の影響もあったけど真夏でも夜にシャワーがなかなか浴びれなくていた。これは寒くても can showerというよりは、汗をかいたままであろう自分への嫌気の度合いが相対的に上がっただけだと思う。)
後片付けもあの頃はなぜか楽しかったけど、今考えるとそこまでの準備のもめごとによる心労から解放された気分で積み上げていたものを実際にハンマーとかくぎ抜きでどかぼか解体していたからかもしれない。
前回まで3年くらい切ってくれた人は、最近ネットフリックスで何見ました?あの漫画の新刊読みましたか?を聞いたり聞かれたりしたら時間があっという間に過ぎていたんだけど、微妙に見たり読んだりするジャンルが違うので、共感ということではなくお互い前頭部の少し上に集中しつつ、目は虚ろでどこも向いていない状態になる感覚に近くて、そこが好きだった。あと二人とも話すは話すけど大体一月後会う時どっちもそれぞれが紹介したものをほとんど読んでこなかったことも。
単純に職業トークがうまかっただけかもしれないし、雰囲気が合っただけかもしれないが。
美容師に髪を切られているとき一番合コンに近いものを感じるな。行ったことないけど
1か月に1回くらい強烈にとりとめもなく頭の蛇口開きっぱなしにして言葉をとにかく書き連ねたいと衝動に駆られてきたけど、なかなか腰があがるまでとはいかず、目から言葉を吸って満足したり下書きやメモ帳に寸止めに近いような状態で、蛇口をひねるスイッチを残して満足していたりしていた。
最近諸事情でスマホを変えて(新書を入れたくなるバッグが見つからなかったのでこれを機にスマホで本を読むようにした)(悔しい、あれだけ服にお熱になったころもあるのに自分の欲望を解消できなかった)、ツイートの下書きが消えていたのをいいことにメモにあった落書きも全部消してすっきりした状態で書いてる。すっきりしたとは言い難い、昨日は3時まで働かされて今日は22時までだったから若干疲労ハイに近い、こんな無駄な機能は大学生のころに消しておくべきだった。
iPhoneに限った話ですが、イヤホン、再生アプリを変えていないのにすごく音質がよくなったので、指紋じゃなくなってもまあ平気な人は変えるべきだと思う。
SaToAの3人の声のざらつきがもっとわかるようになった。(今まで豚を触ったくらいだったのに、今では猫になめられたときくらい違う)
Psycho(Red Velvet)の各楽器の定位が広くなった気がする。のと複数鳴っているものの違いがわかるようになった。(hey now we'll be OKの時のシンセと金管の高さの違いが結構分かりやすくなった気がする。Queendomもイントロでアレ...?ってなるかも)
本当に音質がよくなったのかもしれないのかわからないが、Snoop Dogの英語が前よりもわかるようになった。
あとテレワークがなぜか(はわかっているけど)増えて、自分の家の前でビル一棟丸々買い上げた人が最近毎朝8:30~15:00時過ぎまで延々とリノベを行っている(BnBっぽくする感じだと思う、周りのうわさでは)せいで開放型やスピーカーのものよりノイキャンを使うことがめっぽう増えたおかげで、音楽に没入できている。
今年に入ってから現代の麻薬であるバカげたゲームのせいで、欲を感情を吸い取られたおかげで産業革命後の人類史上でかなりの閉鎖的空間となった今年度の半分を駆け抜けてこられたので、もうやめれたけど!最近は反動もあってたくさん欲が出てきて、強欲だな、傲慢だなとことが増えた。おなか一杯になってお腹見えながら寝てしまった子供を見ている気分。
最近さあ気づいちゃったんだけどさ、厳密に言ったら子も親から生まれる選択をしてない分、親もあなたという存在を認識して産んでないんだね。そのうえでまあこのような状態でいさせてくれたことに感謝しつつ、時代と構造のせいなのか親の能力のせいなのかわからないこの環境というものを考えさせられるようになりました。
三体かって半年寝かしていたけど読み始めたら二の下から3下まで2日で読めた。これを書いたらオレはもう死んでもいいと思う完成度の反面、読み終わると、こうやって書いてしまった以上オレは生きてかなければならない....と思わされるすごい作品だった。
すごさで言ったら劇場版少女☆歌劇レヴュー・スタァライトはありがとうの作品だった。区切りのついた彼女たちの様をやりたいように描いてくれた作品はしっかり物語を辿ろうと思わせてくれた。あの熱意が引っ張ってくれているのに、読みたい本と日々に忙殺されている。Can't let Nobody take my crown....
アスリートの友達がいるアーティストのニューアルバムを聴きました。
作品とアーティスト自身は切り離して考えろと言い聞かせていましたが、なかなか難しかったです。前回の「顔」のために編集者をロンドンで呼ばせたときのかっこよさが相まって拍子抜けというか、ハァ.....T.Iを初めて一人の人物として知ってしまったときの落胆くらい、心の持ちようがなかった。
だからいい作品を作ったひとのことをニュートラルに見れていない以上、その反対もありえるな、となった。もっと母語以外で歌ってくれたらメッセージ性を感じなくて、音を素直じゃないけど楽しめるようになっていたかもしれない。
まとめると音はめっちゃ好きだったのでインストを出してくれないかなぁと傲慢に書いておきます。
ちゃんと悪口は面と向かって言ったほうがいいと思う反面、オレのインターネットはそんなんに使いたくないという部分もあるし、嫌いなら離れればいいだけ、ただ座っていたシートに残った熱を確かめるかのように気持ち悪いこと振り返りをしている気持ちも、ここまで書き上げるまで何回かあった。
それだけあのときの、あの言い方はムカついた。
年を取ったので抱負は?と人に聞かれ、うまく思いつかなかった。
抱負とは離れるけど、獣の奏者でエリンがイアルに初めて会ったときに思った冬の木立みたいな人 これを抱負にしたいですって来週の面談でこねくり回しつつ話したくなった。
あとはふんわりした表現に逃げない。頭の蛇口から出す水に一定の流れと鋭さも持っていきたい。たくさん書く、メモる、読む。今は開高健が読みたい。