0810

少し表現の不自由展について考えていた。普段ニュースよりネットで情報収集する私にとって今回の全貌は胸に残るというかわだかまりが残る。溜飲を下げるのが大人になることなら中指立ててそれは捨てていくぜ

朝いろんな時間のニュースを夏休みに入ったのでみれたのだが、どれも論点が知事や市長に発言部分に留まっており聞きたいところは水に流されていた、ネットは過激な反トリとヒートアップした論点のずらし合いで問題の提起がわからなかった。

間違いなくあったものなのに捏造などというのは笑止だし、請求権協定で既に終わったことなのにぶり返すなというのは、国際法的に人権が条約や宣言を差し置いて成り立つものなのだから守らなければいけなくない?まあ正々話し合うことがもう無いように見えている現状でそれは難しいのかもしれない。

脅迫による職員への危機を避けるために中止になったのでは無いのか、表現の自由云々置いといて。公金で表現の自由にふさわしく無いものをプロバカンダしたところが咎められるのか

 

図書館戦争を思い出す。本が検閲されるようになった世界で銃火器を使い守る世界で、没収すれすれの本や検閲へのアンチテーゼと捉えられかねないものの展示が開催されることになった際、過激化した抗議団体がその展示会場に火を放つエピソード。結局最後に勝つのは肉体なのかと考えてしまうし現実は本より泥沼に持ち込まれている。

何をすればいいのか目を配らなくればならないと思う、もともと不自由な世界なんだし

 

 

中島らも中島敦の本を読んでいて2人とも畏敬を表す相手や情愛を示す相手に対する文章で思わず微笑んでしまう。オタクをやっていたことは全く後悔はないのだけれど、100パーセント見返りを求めないで相手のことを考えて楽しんだことはきっと大きな経験であると思うし、こうやって文章で思わず笑顔になってしまうなんて無かったことだろう