0828

一昨日(0827)はニューヨーク公立図書館を観ていたら寝てしまい、1200円で買った睡眠ということしか書くことがなかったです、一日振り絞ってみてもあの寝方はよかったとしか心に残らなかった

 

すごく調子の悪い一日で負荷をかけたくて90分の授業を6個も見て無事疲労困憊した、休憩がてら柴崎友香の「その街の今は」という本を読んだ、塾講に行った。名前もしゃべり方も日本人ぽくて、しゃべりが小4にしてはヘンというか変な翻訳機でまどろっこしい文章になってるみたいな子を二日連続で国語を教えていて、中国とイギリスに幼いころ住んでいて頭がぐちゃぐちゃらしい。幼児教育に多分ウチは失敗しているのでなんともいえないが(実例が自分)、大変だなぁとだけ思った、指示語と接続語をゴリゴリ教えた

 

起こることすべてに意味があるんだよ~と生き方への振り返り方について参考になるご教授をして頂き、自分の選択への評価について息を詰めていたものが大分ラクになった。こういうときに相手にとてもお礼を言いたくなるけれど、十分に伝えられないように感じてしまって歯がゆい。「その街の今は」ではそこらへんの選択と受け入れがすごく自然に書かれていてちょうど息が詰まっていた自分の中に落ち着いてきてとてもよかった。とにかく「なすがまま」なみんなと大阪の街の雰囲気に救われた。

この本のなかでは大阪について結構文字が割かれて描写があって、何回か訪れたことはあれど御堂筋線くらいしかわからない自分には多分、合コンで一度会ったくらいの関係性でもう会うことはないいその一度きりに酔いしれるくらいの感覚なんだけど、ある本の「嵐を衝いて」という章でその大阪の地理が舞台になっていたのも思い出して楽しくなってきて、そういう実感があまり伴ってこないところが気晴らしにはいいのかもしれないと思った。なんでもない日々の流れと連綿とした街の暮らしが織りなすすごくいい小説であった。

 

流れというのに自覚的になってる、この日記を毎日書こうとしてから。前よりはいかんせん内省的になって、「なにもしていない」ということに気づかきながら毎日を消費しているので旅行に行くという決断にもこれでいいのかみたいな不安がなぜか付きまとっていたし、言われてホッとした起こることへの必然性的なものにもようやく安心できるようになって、今日(0829)チケットとホテルをようやく取るつもりである。旅自体が楽しみじゃなくて気が重かったとかではなく、知らずしらず息の詰まるような生き方をしていてたまたま知人の言葉と小説に助けられただけ。それ自体がでかい「見えざる手」のように思われて、そのたゆたさにすごく助けられたということ。

 

あと、まだまだ若い、と思う。高校生を見てさすがに年を重ねたと思うようにはなったけど。